伸びやかで力強い「やまびこボイス」でファンを魅了する演歌歌手、二見颯一さん。
今回は、二見颯一さんの出身地である宮崎県国富町や、家族について探っていきます。
幼少期から民謡に親しんだ二見颯一の生い立ち
1998年10月26日、宮崎県国富町に生まれた二見颯一さん。
国富町は自然が豊富な農山村なのです。
そして、この場所で5歳という幼少の頃から民謡の世界に足を踏み入れることになります。
二見颯一さんは自然豊かな国富町で、家族の温かい支えを受けながら、伝統音楽と学業に励む少年時代を過ごしたのではないでしょうか。
二見颯一が演歌歌手になれたのは父親や家族の支えがあったから?
残念ながら、現在のところ二見颯一さんのご両親や兄弟に関する具体的な情報は公開されていません。
けれども一人っ子であったことなどをインタビューで語っているので兄弟はいなかったということになります。
↓↓↓二見颯一さんのインタビュー記事はこちらを御覧ください。
しかし、幼少期から民謡を習うなどしていることからも、二見颯一さんへのご家族の温かいサポートがあったことは間違いないと思います。
特に12歳の時にはボーカルスクール「ボイス宮崎」に入っているのですが、この事は家族の理解と協力がなければ考えられないことであったと思います。
二見颯一さんが演歌歌手になった経緯(当初は宮崎県庁への就職を考えていた)
二見颯一さんは5歳から民謡を始めたとお伝えしました。
彼は、みるみるうちにその才能を開花していきます。
↓↓↓幼い頃の二見颯一さんの歌声にはビックリでした。
12歳でボーカルスクール「ボイス宮崎」に入門し、宮地宏一氏に師事します。
「歌は体力勝負」という位に体育系とまで言っているこのスクールで徹底的に歌を教わっています。
この出会いが、二見颯一さんを歌手の道へと導く重要な転機となるのです。
中学生、高校生の時に既に才能を開花させていた
中学1年生の時には「民謡民舞少年少女全国大会中学生の部」で優勝。
高校2年生の時には「正調刈干切唄全国大会男性の部」でも優勝を果たしています。
大学1年生の時(2017年)、「日本クラウン 演歌・歌謡曲 新人歌手オーディション」でグランプリを獲得します。
実はこの時、応募したのは二見颯一さん本人ではなく、ボイストレーニングの先生だったそうです。
大学を卒業後は県庁に就職を考えていたが演歌歌手へ方向転換。
大学卒業後は地元・宮崎県庁への就職を考えていた二見颯一さんでしたが、 このグランプリ受賞をきっかけに歌手としての道を歩むことを決意したのでした。
2019年には「日本歌手協会最優秀新人賞」を受賞、 同年、テレビ東京「カラオケバトル」の決勝戦にも進出しています。
二見颯一さんは幼少期からの民謡の経験を活かして歌に取り組んでいましたが、ボイストレーニングの先生によるオーディション応募という偶然が重なったことで演歌歌手としての道を歩み始めることとなったのでした。
↓↓↓こちらをクリックすると「やまびこコンサート2023in Tokyo」の動画を見ることが出来ます。
【まとめ】二見颯一の実家は宮崎県!父親や家族の支えが「やまびこボイス」を育てた?
演歌界の未来を担う若手歌手として、ますますの活躍が期待される二見颯一さん。
彼の歌声は、きっと多くの人の心を癒し、励まし続けることでしょう。
今後の情報公開にも期待しつつ、二見颯一さんのさらなる飛躍を応援していきたいと思います!
それではこの辺で。
ここまで読んで頂きまして誠にありがとうございました。
嬉しい楽しい、ついてます。
感謝
泉水善光
↓↓↓MUSIC Xでは歌心りえさんとも共演しています。