AKB48の新しいセンターとして名前を聞くようになった伊藤百花。
紅白にも出て、ファッション誌のレギュラーモデルにもなって、「この子、どこから出てきたんだろう」と思っている人は少なくないはずだ。
そう思って調べてみると、出てくる出てくる、家族のエピソードが。
父親が落語好きで、それがきっかけで落語のできるアイドルになったとか、何時に帰っても母親が起きて待っていてくれるとか。
グループの中で急成長できた背景に、家族の存在があるんじゃないかと感じた。
この記事では、伊藤百花の両親がどんな人なのかを中心に、名前の由来から実家のこと、センターへの道のりまでまとめている。
伊藤百花の名前に込められた両親の願い
「百花」という名前、読んで字のごとくだが、ちゃんとした由来がある。
ハーフ疑惑の話も含めて、名前まわりのことをまとめた。
伊藤百花はハーフ?本人の答え
伊藤百花は、その顔立ちからハーフやクォーターを疑われることが多い。
SHOWROOMで「クォーターですか?」と聞かれたとき、本人は「純日本人です」とはっきり答えている(プロフィール詳細はこちら)。
疑問を持つ人が多いのはよくわかるが、本人が明言しているので、ここはそのまま受け取ればいいと思う。
それにしても、あの雰囲気はいったいどこから来るのだろう。
単純に顔のつくりがいい、ということなのかもしれない。
北野夏々から伊藤百花へ──芸名と本名の話
「伊藤百花」という名前、実はAKB加入前は使っていなかった。
高校2年生(2020年)のころ、スターダストプロモーション所属当時の芸名は「北野夏々(きたのなな)」だった。
AKB48のオーディションに合格してからは、本名に戻している。
名前の由来は「たくさんのお花のように、心のきれいな子になってほしい」という両親の願いから。
「百花」という字を使うあたりに、派手さじゃなくて豊かさへの願いのようなものを感じる。
伊藤百花の父親と落語のきっかけ
落語が趣味のアイドルは珍しいが、伊藤百花がそうなったのは、父親の存在なしには語れない。
伊藤百花が聴きに行った立川談春の独演会
伊藤百花の趣味として、落語は欠かせない。
自分でも落語を披露できるアイドルというのは、そう多くない。
そのきっかけを作ったのは、落語好きの父親だ。
小学校の高学年のころ、父に連れられて立川談春の独演会を観に行った。
最初はちゃんと理解できなかったと思う。
ただ、隣で父親が心から笑っている様子を見ながら、少しずつ落語の面白さがわかってきたのだという。
anan誌の記事にも「父の影響で、子どもの頃から落語が大好き」という言葉が載っていて、その影響はいまも続いている。
父のひと言が後押しした落語ワークショップ
小学5年生のときには、彩の国さいたま芸術劇場「オープンシアター」の落語体験教室にも参加している。
小6のとき、落語ワークショップのチラシを見つけてきたのは父親だった。
「行ってみたら」と背中を押されるかたちで参加して、そこで三遊亭鬼丸から「狸札(たぬきさつ)」という演目を教わっている(出典:いとももスター)。
三遊亭鬼丸とはのちにテレビ番組でも共演することになるのだが、それはまた別の話だ。
父親が見つけたあの一枚のチラシがなければ、「落語のできるアイドル」という個性は生まれていなかったかもしれない。
春風亭小朝師匠に「素質がある」と言われた日
父と歩んできた落語への道は、AKB48加入後も続いた。
2025年2月、「AKB48の素を出すちゃんねる」というYouTube企画で、本格的に落語を学ぶことを発表した(詳細はこちら)。
春風亭小朝師匠に弟子入り志願しに行った場で、座布団の「縫い目がない方が前」と即答し、「AKB48でこういうことを知っているのはあなただけだと思う」と言われた。
さらに小噺「モンキードライバー」を披露すると「素質がある」との言葉をもらい、師匠から落語を教えてもらえることになった。
着物を畳む、太鼓を叩くなど、弟子としての下積み仕事も引き受けるという条件で了承され、授かった芸名が「二代目・春風コココ」だ。
ちなみに初代は元AKB48の小嶋真子で、それを聞いたときの驚いたリアクションも話題になった。
その後、小朝師匠はブログに「こんな人は初めて」と綴っている。
父が落語に連れて行ってくれたあの日から、ここまで来た。
伊藤百花の母親はどんな人?
父親の話が続いたので、次は母親のことを。
公開されている情報は多くないが、本人の発言からその人柄がにじみ出ているエピソードがある。
「いつも起きて待っていてくれる」と語った理由
2026年3月、伊藤百花はJA全農の「ニッポンエールブランドアンバサダー」就任会見に出席した。
「エールを送りたい人は?」と聞かれたとき、こう答えた。
「お母さんです。私が朝どんなに早くても、どんなに遅くても、いつもお家で起きて待っていてくれるので」
アイドルの仕事は時間が読めない。
早朝に家を出ることも、深夜に帰ることも普通にある。
それでも毎回、家に帰ると母親が起きている。
ENCOUNT誌はこのとき「目を輝かせた」と表現していたが、話す内容と表情がちゃんと一致している人だという印象を受けた。
JA全農イベントで見せた母への感謝
同じ会見で彼女は、北海道バターコーンピラフを「そんなお母さんに送りたい」と話した。
「簡単に作れるので、いつも忙しく支えてくれるお母さんにあげたいなって思います」
前日の深夜に自分がおいしいと思ったものを、母にも食べさせてあげたい。
そういう感覚を飾らずに話せる人だということが伝わってくる。
anan誌のインタビューでは「世界一好きな食べ物は杏。食べすぎて、いつも母に怒られてます(笑)」という話も出ていた。
食べすぎる娘と、それに苦笑いしながらも受け入れている母親。
その家の空気感が、なんとなく目に浮かぶ。
伊藤百花の実家と家族のこと
ここでは出身地や家族構成など、基本的な情報をまとめておく。
伊藤百花の出身地・地元は埼玉県
伊藤百花の出身地は埼玉県だ。
生まれ育った地元の埼玉県で、父親に連れられて寄席に通い、落語体験教室にも参加した。
anan誌の記事の写真では「上野の鈴本演芸場」での寄席の様子も公開されていて、今でも関東エリアの寄席に通い続けているようだ。
実家と家族構成(4人家族)
家族構成は、両親と伊藤百花、そして妹の4人家族だ。
芸能活動は小学1年生から始まっていて、エポック社のアクアビーズCMなど子役としての出演歴もある。
幼い頃から芸能の世界に関わりながら、家族が日常の軸にあり続けてきたことは、さまざまな発言の端々から伝わってくる。
伊藤百花の妹(2歳下・妹子)
妹は2歳下で、ファンの間では「妹子」という通称で親しまれている(出典:いとももスター)。
公開されているエピソードは多くないのだが、プロフィールにはちゃんと記載されていて、存在感はある。
伊藤百花本人は負けず嫌いでおっちょこちょいな性格だとよく言われているが、妹の前ではどんな顔をしているのか、少し気になるところだ。
伊藤百花とAKB48センターへの道
名前の由来、父の話、母の話、家族の話と来て、最後はその家族に支えられながら歩んできた道のりを見ておきたい。
正規メンバー昇格のとき
2025年12月に正規メンバーへ昇格し、直後に67枚目シングル「名残り桜」でセンターに抜擢された。
加入からわずか1年9ヶ月のことだ。
「ずっと『センターになりたい』と目標を口に出していた」と本人は語っている。
夢を声に出し続けていたら、本当にそうなった。
周りのメンバーも「正規メンバーになって数か月しかたっていないのに」と驚くほどの急成長で、本人も「不安に浸る余裕もないまま走り続けた」と言っている。
伊藤百花が目指すセンター像
「大島優子さんのように、周りまで明るく照らせる、太陽のようなセンターになりたい」
anan誌でそう語っていた。
百花という名前の由来が「心のきれいな子に」だったことを思うと、両親の願った方向に着実に育っているんじゃないかという気がしてくる。
落語好きの父親、何時に帰っても起きて待っている母親、2歳下の妹子。
伊藤百花の周りには、ごく普通の家族の話がある。
センターに抜擢されたとき、本人が「不安に浸る余裕もないまま走り続けた」と言っていたのが印象に残っている。
それでも走り続けられたのは、帰れば誰かが起きている家があったからかもしれない。
「たくさんのお花のように、心のきれいな子に」という名前をつけてもらった子が、AKB48のセンターになった。
両親が見たら、どんな顔をするだろうと思う。